2020年9月19日土曜日

コミュニケーションの類型と発達としての『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』 つづき

 (2)次に見ていくのはどこの相手に対してコミュニケーションを図るかという点

0 ゼロ距離

ハグ、不安がるヴァイオレットの手をカトレアが取ったり、ユリスと指切りをしている時

①目の前、正面

大体これ。

②同じものを見ながら

花火を見ながら語るCH郵便社の面々

ゲーム版や本を見ながらギルベルトの幼少期を語る大佐 など

③少々距離をとって

戦地で部下に号令を出すギルベルト

テニスコートの端と端でラリーするベネディクトとホッジンズ

④もっと距離をとって

閃光弾、空から煙で爆発を察知するヴァイオレット

⑤見てもわからないほど遠くで

電話、手紙、電報

⑥無限遠(?)

死んだ人への手紙、宛先なしの手紙


 (3)いつの人を相手にするか、発信から受け取りまでどのくらいタイムラグがあるか

過去 死んだ人への手紙、弔い、先人に思いを馳せること

現在 即時コミュニケーション ハグ、会話、ジェスチャー、閃光弾、電話

やや未来 電報

もう少し未来 一般的な手紙、実際に遠方に行って会うこと 

未来 配達日を指定した手紙、展示、絵の中に残ること


書き出してみると、網羅的なコミュニケーションが見えてくる。ライデン市内とはいえある程度遠方であるユリス-リュカ間の通話を、手紙の書き手であるアイリス、運び手であるベネディクトが選びとることで、これらのコミュニケーション間の差異はこの映画においていっそう際立って見えてくる。

ヴァイオレットとギルベルトの間にあったのは、最初にも最後にも抱擁だった。最後にギルベルトは飛んでいく手紙を追わなかった。我々に示されたのは愛してるの言葉を交わすよりも、指を絡めて誓い合う姿だった。

そんなに情報技術が発展しようとも、ふたりの根幹をなすのはゼロ距離ですぐに伝わる触れ合いなんだ。それは文字が発明されても、郵便が発達して手紙がやり取りされても、電話が普及しても、SNSが栄えても、きっと変わらない。

それでもコミュニケーションの技術はいらないわけじゃない。ヴァイオレットは結局、手紙抜きにはギルベルトの心を変えることはできなかっただろう。自身の気持ちの整理も、手紙を書くことなしにはできなかっただろう。電話がなければユリスはリュカと話せないし、そもそもヴァイオレットに依頼することもなかった。

だから、それぞれとうまく付き合おう。電話がいい時に電話を、手紙がいい時に手紙を選べるようになろう。抱きしめたいなとか、やっぱり言葉にした方がいいかなとか、贅沢な悩みを抱えるときに思い出したい映画。それがわたしの『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』だった。

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