本に付箋を貼るのが大好きだ。
本はSNSとは違い、インタラクティブではない。読むという行為はひとりの中で進んでいく。
おい待てよ読書は著者との対話だぞ、と言いたくなるのはわかる。でもエントリにその場で「いいね」を飛ばせない、これが今強調したいポイントである。
私はSNS中毒というか、いいね送信中毒だ。いいね中毒というと通常、他者からの承認記号が欲しくてたまらない、という意味で使われる。しかし私はいいねボタンを押すのがたまらなく気持ちいい。
読書に「いいねボタン」を実装してくれるのが付箋なのだ。ちっちゃいやつがいい、単価が安いから。
「いいね」とは情報への格付けである。提示された情報に対しての選別者として優越権を行使する瞬間である。いいねは気持ちいい。だから付箋貼りも気持ちいい。
付箋貼ったら見直すのか? という問に対する答えはこうだ。見直さないことがけっこうある。貼ることで第一目標が達されている。それで満足してしまえば、その先に次の目標を設定しない、行動しないこともままある。
しかし貼りっぱなしでもいられない本がある。図書館で借りた本だ。私は財政的に貧しいので最近は教科書しか買えない、興味もって読む本は借りた本ばかりである。
そんなとき付箋を大量に貼ってしまうと剥がすのが大変だ。見直すことが目標じゃないとはいいつつも、まったく見直さないままベリベリ剥がしていると「俺は何をしているんだ?」という気持ちになってくる。SNSアカウントを削除するときに手動でいいねをすべて解除する人はいないのである。
なんとも良くない気持ちになるのは、やっぱりどこかで「いつでも見直せるぞ」と思っているからなのだろう。時間が許せば返却の前に見直したくなる。でも他にやりたいことがあるし、大抵はババっと剥がして終わる。もやもやするな。
そこで考えた。付箋も5個くらいなら一瞬で見直せるだろう。付箋を制限しよう。
重要だったり興味深かったりした箇所、5つだけに付箋を貼る。どこにしようかと悩みながら読む。使い切ったあと新しく貼りたくなったら、あたらしい箇所と前の5箇所でどれを捨てようか検討する。要約ほどではないが、アクティビティと並行して読むことになって読書がより「体験」らしくなった。
もし5つで我慢できなくなったら、そのときはいいねがいっぱいできるツイッターやインスタグラムを開けばいい。ファボ規制されたら持ってる本をファボればいい。
全く知らなかった分野の本を読むと、新鮮な発見で溢れているため5つではとても足りないと感じる。世界が広がる感覚〜〜〜 でも付箋の数は増やさないことにしておく。同じ分野の別の本を読んでいいね上限を増やそうね。
付箋だらけにした自分の本を読んで「今となってはこんなこと当たり前だな」と思ったら 付箋を剥がす。「やっぱここ何度読んでもいいな〜」って箇所が残っていくのかもしれない。
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