2021年12月13日月曜日

中井正一「集団美の意義」

底本 鈴木正 編『中井正一エッセンス』こぶし書房 2003 pp90-93
底本の底本『中井正一全集』美術出版社
付点部は下線で表現

思惟 しい


本文ここから


 ドラクロアの『シオの虐殺』の絵が初めて現れた時、人々はそれを絵画の虐殺であるといった。新しい美が人々によって気づかれはじむるにあたって、いつでもそれは罵倒されながらその姿を現わす。集団美もその一つかと思われる。

 時の移りは、人間社会の構造をそのままにはしておかない。ことに19世紀から20世紀への移りゆきには、人間の歴史の初めて経験した激しい改革をともなった。

 その最も大きな変革の一つは、機械の出現である。機械の出現は、人間の技術に大きなひろがりと、深さとを与えた。例えばレンズの出現は人の見る眼の達するあたわざる範囲にまで、見る能力をひろげてくれた。望遠鏡はこれまで六千ばかりだと思っていた星の数が実に二重億もあることを教え、顕微鏡は細胞の内面はもちろん、分子運動の内面までも示してくれた。写真術の進歩は、その見たものを、人間の描くよりも幾倍かの正確さと、迅速さと、緻密さをもって把握した。このに活動写真の出現は、その把んだものを動ける姿をもって、再現させてくれた。これらのことは人間の見る世界をまったく根底より変えてしまったと同時に、見かたそのものを著しく動揺させた。

 この「レンズの眼の見かたには特殊な切れた感じ」がともなっている。それは天才の個性あるいは独創に劣らない一つの新しい性格、すなわち現代機械技術のもつ性格なのだ。あたかもルネッサンスからバロックに移った時、時代の手法および題材が性格的に変わったように、19世紀の技術とすっかり違った性格を現代はもったとも考えられよう。

 しかもいっとう大切なことは、その性格の保持者が19世紀では一々の天才であり、その一々の個性のつながりが一つの時代の芸術を築いていたのに反して、現代のもつ「レンズの眼」の新しき見る性格の保持者は、一人の天才、一つの個性ではなくして、多くの個人の秩序ある協力とその組織であることである。この「レンズの眼」の見いだす美わしさ、あるいは芸術は、集団の性格の見いだす美わしさであり、集団の性格が創り出す芸術となるのである。

 かつて人は自分を顧みるに冷たい視線を内に向けたように、集団はみずからの内面を図るに、そのみずからの眼をもってする。その見いだす特殊な美しさ、あるいはその見いだしかたを、私たちは集団美あるいは集団芸術という。例えばレンズによって捉えられたる星雲群の運行軌跡、細胞の内面、光線の示す生物構成、機械の構造、群衆のあるいは軍隊のマッス行進曲、軍艦あるいは飛行機の編隊行動、あるいは飛行機上より見たる大都会の高層建築のマッスなどの視覚に与える美わしさがそれである。

 「見る世界」でかかる変革があったように、「聴く世界」にもまた新たな躍進が企てられた。それは蓄音機とそれにともなうビクトーラ、ならびにラジオ、トーキーの出現である。

 大都会の雑音、飛行機の爆音、群衆のうめき声、ダイナモのうなり、嵐、怒涛、大砲、機関銃の叫喚等々の構成する交響の把握と、その整えられたる再現は、新しい音の構成と、聴く意味の発展をもたらした。例えば、ラジオの運動放送あるいはトーキーを通じて、私たちははじめて、群衆の「意味知れざる叫び声」の集合のいかに人のこころに痛きまでに衝撃的であり、深く何ものかを意味しているかを知らされたともいえる。マンドリンの絃のかわりに、快いダイナモのふるえを音の構成の素材にもっても好いことをまた、人は今初めて気づいたのである。

 見ること、聴くことがそうであるように、「話す世界」も激しき変革を受けつつある。「いう言葉」より「書く言葉」へ、「書く言葉」より「印刷する言葉」へ、「印刷する言葉」より「電送する言葉」へ、言葉は人とともに成長してきた。そしてそれが思惟の世界に著しき変革を与えつつあることを科学は教える。地殻は同時にふるえ、電波の速度が思想の伝播の速度でもあるこの時代に、文学は集団の言葉として新しい形態をその製作の方法とともに結果にあたえつつある。それが漸次、必ず一社会の集団報告の合成が一つの文学を構成する時代がくると信ずる。ラジオドラマは単なる見えざる舞台であってはならぬ。その全体が一つの音響と言葉の組立て、一つのモンタージュであるべきで、新聞、雑誌までが必ず意識的に光と言葉のモンタージュとして、新しき美学の領域に問題となるべきを信ずる。

 かかる意味で今ある集団美よりも、将来あるべき集団美が私たちの興味である。ジャズ、レビュー、スターシステムのキネマなどは拙きその過渡現象である。それが未だ拙劣であるからとて、未来の姿に悲しみをもつ必要はない。

 ギリシャの美わしさは、私たちに秩序の美わしさを与えた。ロマン派の美わしさは、私たちに熱情の美わしさを与えた。今や私たちは秩序ある熱情熱情ある秩序を摑みつつある。それはオルガナイズの情緒ともいうべき新しき魅惑である。万人が一人のために、一人が万人のためにある永遠なる深き愉悦を「物」の上に見いだす新しき装いであり、新しき設計団の横顔でもある。


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見る聞く話す

いう書く印刷する電送する

中井ってやっぱコミュニケーション論の人なんだよな
委員会ってコミュニケーションの渦(綿密なサイクル)であって、その中の回りかたの記述が「論理」で、そのサイクルから外部に出力されたものが委員会の芸術=集団美なんだろうな?
今のものはくだらないが未来に期待できるって言ってる
中井くんがWitcherとかやったらめちゃくちゃ感動しそう

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