2019年5月14日火曜日

最後に論破したのは自分自身だった(ダンガンロンパV3感想・ネタバレ)

推しが死ぬ
日常モノ以外も嗜むオタクならまあよくある
キャラの最も鮮烈な瞬間、それは劇中で死ぬ限り死の瞬間である
固定ツイートに「推しが死ぬ頃(略)心ときめいてくる」とある通り、ダンガンロンパ1、2をプレイしたころからの私のスタンスであった
このツイートを3~5章学級裁判後にも引用し、コロシアイの舞台を去ったキャラを称えて惜しんだ
(ここ見てるひとは多分フォロワーだし、ツイートの流れを追ってみてほしい)

このような考えを端的に表したのが、作中のセリフ「死んでこそキャラが立つんだろ」
6章学級裁判、最後の理論武装の中で反駁したのは、まさにそのセリフに対してだった

あれ?

打ち砕かれたのは「外の世界の声」
外の世界には明確に私も含まれるように感じられた
じゃあ最原くんを操作してそれを論破したのは
誰なんだろう
私か?
私はたった今、論破されたのだが

分裂感にくらくらして、思いをまとめることが出来ずに寝た

===

一晩経ち、気持ちを整理してからこれを書いている

どう考えても最原くんを操作したのは私の手だけど
やっぱり私は「死んでこそキャラが立つんだろ」と思っている
他作品で死んだキャラを、死ななかったキャラと同じように考えることは、やっぱりできない
キャラの死を現実の死と同列にとらえることも、やっぱり無理だ

自分の思いを論破すること
真逆のことを論じること
あのとき要求された操作は、フィクションの最原くんから現実の私に投げかけられた「フィクション」だったんだ
私は私の手を「嘘」で固めて、最原くんの覚悟に寄り添ったんだ


フィクションの人物は、投影された嘘の塊
だとしたら、あのとき私は、「ちょっとだけフィクション」の人になった
だから、最原くんの想いも「ちょっとだけ理解」できたんだと思う

===

フィクションの人だって、人間だ。
人間の痛みは本物だ。
だから痛ましいコロシアイは終わりにしなくちゃいけない。

嘘だけどね。
そんなこと本気で思ってないけどね。

でも思ったという嘘を受け入れることならできた
これこそが、私が最原くんと一緒に進めた一歩なんだと思う


これからもきっと、私はフィクションの死を搾取し続ける
リアリティの差こそあれ、エンターテイメントとして

死に笑い、死に泣くとき
私は最原終一の痛みをちょっとだけ思い出すはずだ



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