前回の話のつづきです。
<質問>「なぜ人を殺してはいけないんですか?」
を発する人は9割が④相手を困らせるために発言してる
1割が①本当になぜなのか知りたくて発言している
このように仮定したとき、どのような返答をするのが嫌な気持ちになる人が少ないでしょうか
「嫌な気持ち」を定義せずに話を進めます(有意義な脱線ができないため
自然に受け取ってください
まとめから言うと、とるべき作戦は2つです。
1)パスを出してくれ
2)可能なら意図を確認してくれ
前回の前半部解釈で、こんなことを言いました
万人が問の答えを用意する必要はないよ
でも用意すべき人はいるよ
その用意する係の人、倫理の専門家にパスを出してください。
ちょっとまってくれ、友人に倫理学者がいないよ、哲学者もいないよ
そういう人がほとんどかと思います
そんなときは、ちょっともの知ってそうな友人、親、近所の人でもいいんでパス出してください
「○○くんならそういうの詳しそうだなぁ」でいいです
このパスが連鎖すると、本当に詳しい感じのところにいけます
④のいじわるさんはめんどくさがってパスの先までいかないし、
①の探求者が本物ならきっと辿ってくれます
このとき、「自分は詳しくないけど…」とか前置きしなくていいです
自分の詳しさとパス先の詳しさは関係ないので。
余裕があれば、「○○っていう本にいいこと書いてあったよ」という書物へパスでもいいかもしれません
その場合、「どんなこと書いてあった!?」て追及が予想されるので、簡単な要約が頭に入ってるときか、
「どうやら○○がキーワードらしいんだよね」「細かいこと覚えてないけど」「気になるならよんでみなよ、たぶん図書館にあるよ」という二の句も用意しておいてください
※ここで④の害意が達成されないことへの不満感が生まれるかもしれませんが、無視できるものとします
このパス作戦は相手が誰でも繰り出せます
①と④を区別せずともとれるわけですね
作戦2は、相手との関係が深いとき、距離が近いときに取りましょう
君の意図は①なの?④なの?と質問で確かめるのです
めっちゃ仲いい友達なら「もしかしていじわるしてる?わら」で済むと思いますが
そうでない限り、「本当に知りたいんだね?」「本当に疑問に思ってるんだね?」の方向で確かめてください
①だと確かめられたら、ほかならぬ自分と議論をしたいのか、それとも先人の知恵を借りた方が望ましいのかを確認しましょう
有意義な時間をお過ごしください
④かな?と思ったら、もうちょっとゲームっぽいことに移行しましょう。しりとりとか、山手線ゲームとか。
相手が子供なら、イジワルで質問をするということについて一緒に話してみましょう(具体的になにを? わかりません)
<質問>に対応するとぼけた答えを返して楽しむのもいいですが、知的・思想的に自分が下であるというポジション付けが後々有利になるかどうかはよく考えましょう。
あるいは、<質問>はそのままに哲学者ゲームだよ!みたいなラベル付けだけしておきましょう
○ざっくりまとめ
質問の意図は多様である。意図を正しく汲めると、良いコミュニケーションができる
意図がもし絞り込めなくても、当たり障りのない返答を探る道がある
○してほしいこと
難しい質問がきたら、「うーん、そいうのって○○さんが詳しそうだなぁ」と言おう!
2020年3月13日金曜日
別に殺したくはないが「殺すのはなぜダメか」と聞く人に返答する その1
「なぜ人を殺してはいけないんですか?」と聞く人間は、かなりの割合で「単に答えにくい質問して相手を困らせたいだけだから、まともに相手にしなくていい」といわれたことがあり、それが正解かなーとは思う。つーても、私が初めてそれ聞かれた時「殺したいの?」と聞き返してすげえ嫌がられたっけな…— 我乱堂 (@SagamiNoriaki) March 11, 2020
質問には質問に対応した返答する。これが一般的な建設的態度だと思う。
ちょっと込み入った場合を考えてみよう。
対応する答えをあまり必要としていない質問に答える必要はあるだろうか。
一般的な態度としては、返答側に別の用事が無ければ答えてあげるのが親切だろう。
(対応する返答の例「○○という理由で殺してはいけないんです」等、理由を述べる)
(対応しない返答の例「難しい問題だよね」「なんでそれが気になったの?」等、理由でないことを言う)
人が他人に対して質問の形をとった発言をするとき
①本当に対応する返答を求めている
②質問の形をとった示唆的な要求をしている
③会話を発生させることで親睦を狙う(ジョークも含む)
④返答に困らせることで相手を害そうとしている
⑤質問は形式的で、内容通り相手を形容している(例:あんたばかぁ?)
のような場合が考えられる。(もっとあったら教えて)
対応する答えをあまり欲しない質問とは、
②~⑤に該当するものだ。
引用したツイートの主張を私なりにまとめよう
「なぜ人を殺してはいけないんですか?」 (以下<質問>)
を発する人間は④を意図している場合がほとんどだから返答を用意する必要はない、という意見にツイート主は賛同している。
以下、出来事。ツイート主は<質問>を②(私は人を殺したいです)と解釈した。解釈の内容が一般通念と異なることから確認を意図して①である質問「殺したいの?」を発したが、嫌がられてしまった。
返答が困難な問がしばしば④に用いられる。私も同意する。
返答を用意する必要はない、これにも概ね同意する。
しかし私は、私が返答を用意しなくていい、とは考えていない
悪意によって善意が駆逐されてはならない
しかしその駆逐を妨げるのにコストがかかる
だからこういう小難しい問には専門化して対処しよう
<質問>のような困難な問が④に用いられるのが事実だとしても、すべての困難な問が④を意図するものではない
①を意図するものには答えるのが建設的態度だ
①である可能性を考えたら、理想を言えば全員が返答を用意するのが望ましい
返答を用意するには考える材料を用意し、考える時間をとる必要があるだろう
万人にこれを強いることはできない。
そこでリソースのある者がこの返答を用意すればよい
先行研究に当たれる環境があって、普通の人が考えないことに取り組むモチベがある人
そんな人になりてぇなぁ
以上がツイート前半部に関する意見である。
次に後半部を見てみよう。
ツイート主に<質問>をした人物は④を意図していたか?
わかりません!
その人は④を意図したのだが、質問が返ってきた。
「殺したいの?」という逆質問に返答が難しい人であれば④としてとらえるので、カウンターを食らった気持ちになったのかもしれない
(あるいは⑤のように殺人衝動者と呼ばれた気分になったかもしれないね)
じゃあ②を意図して、殺したいと思って訊いたのか?
これにはNoと答えたい
だって本当に殺したいかつ人に質問する人は、「殺したいの?」に喜んでYesと答えそうだから
それ以上に、殺したいかつ確認されて嫌がるひとは質問しなそうだから
これを考えると、ツイート主の②としての解釈や逆質問は良いコミュニケーションにはならなかったと言えそうだ。
想定しよう、<質問>を発する人間は9人が④困らせで、1人が①知りたいんだとしよう。
普通の人はどう解釈し、どう返答するのが良いコミュニケーションを生むだろうか?
言い換えると、どうすれば嫌な思いをする人を減らせるだろうか?
思ったより長くなったので続きます
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